足法の到達地は
仮)『気づき』と一口に言ってもなかなか具体的に理解できるものではありません。それができるくらいなら、人生、そんなに迷わず誰もがちゃんと生きています。
“癒し”という言葉が社会に溢れ出したとき、同時期に『気づき』という言葉もよく耳にするようになりました。
気づけば人生が変わる、すべてが変わるというわけで、いろんな本が書店に並びました。宗教関係の本、ニューエイジ関係の本、はたまた医学関係の本⋯。しか し、どんな本を読んでもちっとも『気づく』ことはできません。むしろ混乱するばかりです。そして、自分には『気づく』能力そのものがないんだ、とさえ思うようになったりもします。
私の性格は、どちらかというと、これはという関心事に対しては、とことん追求する傾向があり、『気づき』に対しても随分追い求めてきたように思います。なんでもへこたれずに(好きで)一生懸命やっていると、答えは向こうから自然に、そして突然やってくるものです。



